ヤルッキー
ヤルッキーとは、ベネッセコーポレーションの小学生用のドリルに登場する、生態系のバグである。
彼は、霊長類(サル)でありながら、ヒトの子供(レンとナナミ)を「生徒」という名で使役することに成功した、歴史上唯一のサルである。
彼の存在は、人類がサルを家畜化(例:猿回し)してきた数万年の歴史を嘲笑うかのような、完璧な「先祖と人間の主従関係の逆転」を体現している。
目次
概要[編集]
彼の名前は「やる気」に由来する。これは彼の武器である。彼は腕力や知性で人間を支配したのではない。彼は、現代の日本の子供たちが最も脆弱なポイントである「やる気」を自在にコントロールするという新たな能力(サイキック)に目覚めた。
彼は教師ではない。「マネージャー」である。彼は人間の子供(レンとナナミ)に「キミのやる気、応援するよ!」と言い寄るが、実際には彼が「やる気」という麻薬を少量ずつ投与することで、彼らを依存させ、自らの管理下に置いている。レンとナナミは、自分たちのために勉強していると思い込まされているが、実際にはヤルッキーというサルのご機嫌を取るために日々の課題をこなす「使役される生徒」に過ぎない。これは教育ではない。「種の支配」である。
主従関係の逆転[編集]
彼の出現は、ダーウィンの進化論を根底から覆す大事件である。
人類の傲慢[編集]
我々人類は、知性を武器に生態系の頂点に立った。我々はイヌを家畜化し、ウシを食料にし、ウマに乗った。そして、我々の先祖サルに至っては、動物園で見世物にするか、おだてて芸を仕込む(猿回し)かの対象でしかなかった。サルは常に人間の「下」であった。
ヤルッキーの革命[編集]
しかし、ヤルッキーは違った。彼は気づいた。
「人間の子供は、勉強が嫌いだ」
「彼らは、『やる気』というエサがなければ動けない」
彼は、ベネッセという巨大組織を利用し、「進研ゼミ」というシステムを開発。自らが「やる気」の供給源となることで、人間の子供を自らの管理下に置くことに成功した。
レンとナナミは、課題を提出し、ヤルッキーから「よくできたね!」という承認を貰う。この支配構造は、まさしく人間がイヌに「お手」を教えるのと全く同じ構造である。
いつのまにか、サルが人間(レン・ナナミ)の「飼い主」になっていた。これが彼の恐るべき革命の正体である。
ベネッセ神話における関係性[編集]
ヤルッキーは孤立した存在ではない。彼は、ベネッセが誇る他の強力なキャラクターたちと複雑な関係を持つ。
しまじろう(トラ)[編集]
ヤルッキーが小学生市場を担当するのに対し、しまじろうは幼児市場を担当する、ベネッセの最重要キャラクターである。しかし、両者の思想は正反対である。
- しまじろう(旧世代・理想主義):彼のテーマは「共存」である。トラがウサギやトリと「友達」になるという、現実の生態系ではありえない理想論を幼児に刷り込む。彼は社会性を教える。
- ヤルッキー(新世代・現実主義):彼のテーマは「管理」である。サルが人間を「支配」するという、新たな生態系を提示する。彼は結果(やる気)を教える。
ヤルッキーは、甘っちょろい理想を語るしまじろうを「まだ獲物とじゃれあっているのか」と見下しており、両者の仲は最悪と言われている。
コラショ(ランドセルの妖精)[編集]
ヤルッキーの最大のライバルであり、同じ小学生市場で顧客を奪い合う存在である。両者のアプローチもまた、正反対である。
- コラショ(無機物・奉仕型):彼は「ランドセルの妖精」という無機物であり、その本質は「支援」である。彼は子供の背中に張り付き、「キミならできるよ!」と励ます、従順な「従者」である。
- ヤルッキー(霊長類・支配型):彼は「サル」という生物であり、その本質は「管理」である。彼は子供の横に立ち、「やる気出てる?」と監視する、傲慢な「主人」である。
ベネッセは、無機物による「奉仕型」の支配(コラショ)と、霊長類による「管理型」の支配(ヤルッキー)のどちらが教育効率が良いか、日本中の子供を使って壮大なA/Bテストを繰り返しているのである。
結論[編集]
ヤルッキーは、ただの可愛いマスコットではない。彼は「猿の惑星」の尖兵である。彼は、人類がサルの下につくという「主従関係の逆転」を、教育という最も平和的な手段で実行している、恐るべき革命家である。
我々は彼を「サル」だと見下してはならない。我々が「やる気が出ない」と嘆いている間に、彼は着々と人類を手なずけている。いつか我々が彼に「ヤルッキー様」と忠誠を誓う日は、そう遠くないのかもしれない。